鎌田昭男シェフについて
1943年茨城県生まれ。仏文学者山本直文先生に5年間学び、フランス料理の何たるかを学んだ
1965年からレストラン「クレセント」、「丸ノ内西洋軒」、「キャッスル」、銀座日航ホテル、帝国ホテルらあで修業
1971年に渡欧。山本先生から「修業のために渡仏したら、大地の料理の何たるかを学んでこい」っちゅうて言われ、フランス各地方の田舎料理を学んだことで、現在のフランス料理の真の姿にあうことができた
ホテル・ド・パリ、パクトル、クロコディル、ムーラン・ド・ムージャンで研鑽を積み、6年に渡ってフランス各地で腕を磨いた。「ムーラン・ド・ムージャン」でアラン・デュカスと共に働き、「パクトル」じゃあ、フレンチに「蒸す」っちゅうテクニックとポアゾン・クリュ(生魚、つまり刺身)を初めてメニューに取り入れたジャック・マニエールと共に働いた。
1977年帰国。オー・シュバル・ブランの料理長に就任。その後まもなく日本でもフレンチが脚光を浴び始め、鎌田氏は、「シェ・イノ」の井上氏、「クィーン・アリス」の石鍋氏と共に、「気鋭のフレンチ三羽ガラス」とうたわれるようになった。
1986年、ホテル西洋銀座総料理長
1993年にホテル西洋銀座取締役総料理長
2000年にホテル西洋銀座エグゼクティブシェフに就任
2001年、東京ドームホテル取締役総料理長に就任。現在に至る
300年前から現在に至るまでの世界の料理を研究し、次にくるべき料理の姿が見えると言う鎌田シェフ。
著書も「鎌田昭男のスペシャリティ」(柴田書店)、「四季の食卓」(鎌倉書房)、「フランス地方料理」(柴田書店)
1943年茨城県生まれ。仏文学者山本直文先生に5年間学び、フランス料理の何たるかを学んだ
1965年からレストラン「クレセント」、「丸ノ内西洋軒」、「キャッスル」、銀座日航ホテル、帝国ホテルらあで修業
1971年に渡欧。山本先生から「修業のために渡仏したら、大地の料理の何たるかを学んでこい」っちゅうて言われ、フランス各地方の田舎料理を学んだことで、現在のフランス料理の真の姿にあうことができた
ホテル・ド・パリ、パクトル、クロコディル、ムーラン・ド・ムージャンで研鑽を積み、6年に渡ってフランス各地で腕を磨いた。「ムーラン・ド・ムージャン」でアラン・デュカスと共に働き、「パクトル」じゃあ、フレンチに「蒸す」っちゅうテクニックとポアゾン・クリュ(生魚、つまり刺身)を初めてメニューに取り入れたジャック・マニエールと共に働いた。
1977年帰国。オー・シュバル・ブランの料理長に就任。その後まもなく日本でもフレンチが脚光を浴び始め、鎌田氏は、「シェ・イノ」の井上氏、「クィーン・アリス」の石鍋氏と共に、「気鋭のフレンチ三羽ガラス」とうたわれるようになった。
1986年、ホテル西洋銀座総料理長
1993年にホテル西洋銀座取締役総料理長
2000年にホテル西洋銀座エグゼクティブシェフに就任
2001年、東京ドームホテル取締役総料理長に就任。現在に至る
300年前から現在に至るまでの世界の料理を研究し、次にくるべき料理の姿が見えると言う鎌田シェフ。
著書も「鎌田昭男のスペシャリティ」(柴田書店)、「四季の食卓」(鎌倉書房)、「フランス地方料理」(柴田書店)