
「おいしさの表現」
テレビ番組でタレントが「おいしい」の連発で、観ている人たちに伝えようとするが、最近ではその表現方法がだんだんとオーバーになっている。ジェスチャーが大きければ大きい程わざとらしく、見ている人を不愉快にさせる。
「三鞍の山荘」にも取材でテレビクルーがタレントを連れて来られるが、その撮影がけっこうハードである。ディレクターは「おいしい」雰囲気を何とかビデオにおさめようと、時には何回も「ダメ」を入れて、くり返し「おいしい」場面を写している。さすがに「くいしん坊・万才」などで食べ慣れているタレントは、ナイフ、フォークの使い方がうまく、その表情にも余裕がある。「おいしい」…という伝え方にもキャリアが必要なのである。
「山荘の小さなお客さま」にもタレント以上の「おいしさ」を表現してくれるスターがたくさんいる。食事が済んで「あいさつ」に各テーブルを回っていくと「おいしかったです」という大人たちに混ざり、「ヤサイがおいしい」「お肉がおいしかった」とはっきり自分の意思で伝えてくれる。「この子は普段は野菜を食べないのだけど、今回はすっかり食べたんですよ。」母親の説明に加えて「にっこり」と笑ってうなずいている。これはすばらしい「おいしさ」のごあいさつである。「食べました」という満足感が洗い場に帰ってくる。「皿の中」にパンでソースをすくいとった跡が残っている。
「食を楽しむ」第一の条件は「おいしさ」に対する自分の気持ちをいかに周りの人に伝えるかにあるようだ。この天才がいる。フランス人ギターリスト、クロード・チアリーさんの娘さんでタレントのクロード・クリスティーヌさん。この人が「山荘」で食事をするシーンがテレビでオン・エアーされたときは「あの料理が食べたい」という電話での問い合わせが殺到した。フランス人が「おいしさ」を表現する言葉はたくさんあり、その中の一つを発する時の彼たちは実に細かな動作をみせる。決してオーバーではなくその動きが小さい程「おいしかったよ」という思いが相手に伝わってくる。さすがに「食を楽しむ」本場フランス人、といつも感心する。
クリスティーヌさん、父親がフランス人、母親が日本人の両親を持ち、良い所を全て受け継いだという美貌の持ち主である。身体全体からにじみでてくる「おいしさ」の表現は一口食べたあと「ナイフ、フォーク」を皿の上に置き、右手の親指と人差し指で軽く輪をつくり口元に持っていくと同時に「プチッ」とも「チュッ」とも聞こえる、小さな口元の音を出し、顔の表情は満面「おいしさ」の笑顔だった。それはさすがと云える「おいしさ」の演技であったが、地味でありながら「味」そのものを見ている人たちに伝えている自然なものであった。もちろんその日の「食べるシーン」は一発でOKであった。
この「おいしさ」を求めて今日も調理場に立っているのであるが、「味づくり」とはいつまでたっても難しいものである。それだけに楽しい仕事なのである。
テレビ番組でタレントが「おいしい」の連発で、観ている人たちに伝えようとするが、最近ではその表現方法がだんだんとオーバーになっている。ジェスチャーが大きければ大きい程わざとらしく、見ている人を不愉快にさせる。
「三鞍の山荘」にも取材でテレビクルーがタレントを連れて来られるが、その撮影がけっこうハードである。ディレクターは「おいしい」雰囲気を何とかビデオにおさめようと、時には何回も「ダメ」を入れて、くり返し「おいしい」場面を写している。さすがに「くいしん坊・万才」などで食べ慣れているタレントは、ナイフ、フォークの使い方がうまく、その表情にも余裕がある。「おいしい」…という伝え方にもキャリアが必要なのである。
「山荘の小さなお客さま」にもタレント以上の「おいしさ」を表現してくれるスターがたくさんいる。食事が済んで「あいさつ」に各テーブルを回っていくと「おいしかったです」という大人たちに混ざり、「ヤサイがおいしい」「お肉がおいしかった」とはっきり自分の意思で伝えてくれる。「この子は普段は野菜を食べないのだけど、今回はすっかり食べたんですよ。」母親の説明に加えて「にっこり」と笑ってうなずいている。これはすばらしい「おいしさ」のごあいさつである。「食べました」という満足感が洗い場に帰ってくる。「皿の中」にパンでソースをすくいとった跡が残っている。
「食を楽しむ」第一の条件は「おいしさ」に対する自分の気持ちをいかに周りの人に伝えるかにあるようだ。この天才がいる。フランス人ギターリスト、クロード・チアリーさんの娘さんでタレントのクロード・クリスティーヌさん。この人が「山荘」で食事をするシーンがテレビでオン・エアーされたときは「あの料理が食べたい」という電話での問い合わせが殺到した。フランス人が「おいしさ」を表現する言葉はたくさんあり、その中の一つを発する時の彼たちは実に細かな動作をみせる。決してオーバーではなくその動きが小さい程「おいしかったよ」という思いが相手に伝わってくる。さすがに「食を楽しむ」本場フランス人、といつも感心する。
クリスティーヌさん、父親がフランス人、母親が日本人の両親を持ち、良い所を全て受け継いだという美貌の持ち主である。身体全体からにじみでてくる「おいしさ」の表現は一口食べたあと「ナイフ、フォーク」を皿の上に置き、右手の親指と人差し指で軽く輪をつくり口元に持っていくと同時に「プチッ」とも「チュッ」とも聞こえる、小さな口元の音を出し、顔の表情は満面「おいしさ」の笑顔だった。それはさすがと云える「おいしさ」の演技であったが、地味でありながら「味」そのものを見ている人たちに伝えている自然なものであった。もちろんその日の「食べるシーン」は一発でOKであった。
この「おいしさ」を求めて今日も調理場に立っているのであるが、「味づくり」とはいつまでたっても難しいものである。それだけに楽しい仕事なのである。

「美味しさについて」
「美味しさ」について書きはじめると、云いたい事がたくさんあってきりがない。「味作り」が毎回同じ「味」にならないように「食べる側」もその都度少しの事でも「美味しさ」の感じ方が変わるのである。
食卓を囲んで食べている時、メンバーの一人が「あーもうお腹いっぱいだ」「ストップ、ストップ」と大きな声で云われると、そこに居合わせた人達がなんとなく「もうお腹いっぱいになりました」というような気分になってしまう。「味つけ」についても必ず一言云う人がいる。自分の好みというものがあるので、その人にとっては「塩」がきついのかもしれない。一口食べて「いやー塩分多いよ、この料理」と批判家ごときお言葉に、こちらはまだ食べていないのに「塩がきつい」のイメージが頭の中をかけめぐる。「そうかなー自分にはちょうどよい味つけなんだが…」と云おうものなら「いや塩分が強い。これじゃあ塩分とりすぎ、病気になっちゃうぜ」とこちらが「味オンチ」のような云われ方をする。美味しいはずの料理を前に沈んだ気持ちになってしまうことがよくある。「味づくり」のプロがそのような経験をするのであるから、一般 の人たちの食事の席ではこの余計な一言は「ぜったい」に云ってもらいたくない言葉である。食卓のマナーとして、ぜひ、守ってもらいたいものであるがこの人には通 じないようで、相変わらず「まずい」「塩がきつい」「うすい」「味が無い」を連発するのである。
フランスで食事をしているとその店の主人、又は支配人が「いかがですか、お味の方は」と客席をまわりながら「アイサツ」に来る。客は「美味しいよ。すばらしい味つけです」「満足です」…というような、その料理を誉めたたえる言葉を並べて答えるのである。フランス語には実にこの種の賛辞語が多いことに気がつくし、云われた方にとっては気分がよいし、そのテーブルの人全員が同じ気持ちで相づちを打ってくれる。気がつくとほとんどの席でこの同じような光景が見られるのである。
食卓のルールのようなこの言葉にも、日本語に訳せば「悪くないですよ」という「パ・マル」という言葉がある。この「悪くないですよ」という言葉を聞いた店の主人や支配人は調理場に血相を変えて飛び込んで来ると「誰だ、あのテーブルの料理を作った奴は!」それが肉や魚やデザートだとそれぞれの係りがいるので、その者をどなりつけているのである。「悪くないですよ」は実は「悪いです…美味しくない、満足ではない」ということなのである。フランス人は食事に対してここまで気を遣うのである。
日本ではどうだろう。せめて「美味しい」時は食べ終わった皿を片付ける人に「美味しかったです」の一言をぜひかけてくれると、食卓がさらに楽しいステージになること間違いなしである。ちなみに「まずい」時は「黙っている」、「皿に残しておく」が一番である。料理人はこの残される事がものすごく気になり、反省する事に結びつくのである。
「美味しさ」について書きはじめると、云いたい事がたくさんあってきりがない。「味作り」が毎回同じ「味」にならないように「食べる側」もその都度少しの事でも「美味しさ」の感じ方が変わるのである。
食卓を囲んで食べている時、メンバーの一人が「あーもうお腹いっぱいだ」「ストップ、ストップ」と大きな声で云われると、そこに居合わせた人達がなんとなく「もうお腹いっぱいになりました」というような気分になってしまう。「味つけ」についても必ず一言云う人がいる。自分の好みというものがあるので、その人にとっては「塩」がきついのかもしれない。一口食べて「いやー塩分多いよ、この料理」と批判家ごときお言葉に、こちらはまだ食べていないのに「塩がきつい」のイメージが頭の中をかけめぐる。「そうかなー自分にはちょうどよい味つけなんだが…」と云おうものなら「いや塩分が強い。これじゃあ塩分とりすぎ、病気になっちゃうぜ」とこちらが「味オンチ」のような云われ方をする。美味しいはずの料理を前に沈んだ気持ちになってしまうことがよくある。「味づくり」のプロがそのような経験をするのであるから、一般 の人たちの食事の席ではこの余計な一言は「ぜったい」に云ってもらいたくない言葉である。食卓のマナーとして、ぜひ、守ってもらいたいものであるがこの人には通 じないようで、相変わらず「まずい」「塩がきつい」「うすい」「味が無い」を連発するのである。
フランスで食事をしているとその店の主人、又は支配人が「いかがですか、お味の方は」と客席をまわりながら「アイサツ」に来る。客は「美味しいよ。すばらしい味つけです」「満足です」…というような、その料理を誉めたたえる言葉を並べて答えるのである。フランス語には実にこの種の賛辞語が多いことに気がつくし、云われた方にとっては気分がよいし、そのテーブルの人全員が同じ気持ちで相づちを打ってくれる。気がつくとほとんどの席でこの同じような光景が見られるのである。
食卓のルールのようなこの言葉にも、日本語に訳せば「悪くないですよ」という「パ・マル」という言葉がある。この「悪くないですよ」という言葉を聞いた店の主人や支配人は調理場に血相を変えて飛び込んで来ると「誰だ、あのテーブルの料理を作った奴は!」それが肉や魚やデザートだとそれぞれの係りがいるので、その者をどなりつけているのである。「悪くないですよ」は実は「悪いです…美味しくない、満足ではない」ということなのである。フランス人は食事に対してここまで気を遣うのである。
日本ではどうだろう。せめて「美味しい」時は食べ終わった皿を片付ける人に「美味しかったです」の一言をぜひかけてくれると、食卓がさらに楽しいステージになること間違いなしである。ちなみに「まずい」時は「黙っている」、「皿に残しておく」が一番である。料理人はこの残される事がものすごく気になり、反省する事に結びつくのである。

「フランス人の食卓」 ~山荘の朝食が和食のわけ
講演等で終了後、「それではシェフに何か質問ありませんか?」という司会者の問いかけに必ず「シェフは普段何を召し上がりますか?」また、「好きな食べ物は?」という言葉が投げかけられる。 「一日一回麺類を食べます。皆さんとそれほど変わりませんよ。好きな食べ物はゴボウの料理です。例えば、キンピラ、ゴボウの天ぷら、柳川鍋等大好きです」と答える。 次に、「フランス人はいつもあのようなテレビでみる、またはレストランで出されるようなものを食べているのですか?」このあたりの質問になると、終了の時間を確認して再び講演の続きとなる。
40年前スイスを中心にして、5年程のヨーロッパ生活をしていた私のストレスは食事にあった。職場で作るのはフランス料理である。これは自分で食べるものではなく仕事の為に「作る」料理である。「味をみる」ために少しづつの量 は口の中に入る訳であるが、これは食べているのではなく「味かげん」をみるための動作である。このようなことをくり返していると、自分の身体、特に胃袋が「別 の料理」を食べたいという欲望に動き出す。これがストレスになり出すと、もう完全にグロッキー気味となる。自分自身に「日本料理」を食べさせなさいという指示が胃袋を中心にして出されるのである。すなわち、私のわずかな外国生活の中でもこのようなことがおきるように、フランス人と日本人の「食事」は大きく異なるのである。
「オギャー」と生まれた時から吸い込む空気にまず違いがある。フランスではワインやチーズの酵母が、そして日本では味噌、醤油の酵母がある。これをずっと吸って育っていく訳であるから、食事の好みの違いが出てくる訳である。これから見るとお分かりのように、フランス人の食卓には必ずワインとチーズが付き、日本人の食卓には「味噌汁」があり、刺身でも「醤油」をつけないでは食べられないのである。フランス人の食卓にも「トマトサラダ」はあるし、「ナスの炒めもの」もあるし、海老や蟹のスープもある。すなわちその味付けが変わるだけである。スパイスや油や調味料が異なり、調理する技術が違うということである。
しかし最近、日本人の食卓が洋風化されてきているので、若い人たちはどちらかというとフランス的な味付けを好むようになってきているのである。
さて結論は…、「フランス人の食卓は地味なのですよ」。
講演等で終了後、「それではシェフに何か質問ありませんか?」という司会者の問いかけに必ず「シェフは普段何を召し上がりますか?」また、「好きな食べ物は?」という言葉が投げかけられる。 「一日一回麺類を食べます。皆さんとそれほど変わりませんよ。好きな食べ物はゴボウの料理です。例えば、キンピラ、ゴボウの天ぷら、柳川鍋等大好きです」と答える。 次に、「フランス人はいつもあのようなテレビでみる、またはレストランで出されるようなものを食べているのですか?」このあたりの質問になると、終了の時間を確認して再び講演の続きとなる。
40年前スイスを中心にして、5年程のヨーロッパ生活をしていた私のストレスは食事にあった。職場で作るのはフランス料理である。これは自分で食べるものではなく仕事の為に「作る」料理である。「味をみる」ために少しづつの量 は口の中に入る訳であるが、これは食べているのではなく「味かげん」をみるための動作である。このようなことをくり返していると、自分の身体、特に胃袋が「別 の料理」を食べたいという欲望に動き出す。これがストレスになり出すと、もう完全にグロッキー気味となる。自分自身に「日本料理」を食べさせなさいという指示が胃袋を中心にして出されるのである。すなわち、私のわずかな外国生活の中でもこのようなことがおきるように、フランス人と日本人の「食事」は大きく異なるのである。
「オギャー」と生まれた時から吸い込む空気にまず違いがある。フランスではワインやチーズの酵母が、そして日本では味噌、醤油の酵母がある。これをずっと吸って育っていく訳であるから、食事の好みの違いが出てくる訳である。これから見るとお分かりのように、フランス人の食卓には必ずワインとチーズが付き、日本人の食卓には「味噌汁」があり、刺身でも「醤油」をつけないでは食べられないのである。フランス人の食卓にも「トマトサラダ」はあるし、「ナスの炒めもの」もあるし、海老や蟹のスープもある。すなわちその味付けが変わるだけである。スパイスや油や調味料が異なり、調理する技術が違うということである。
しかし最近、日本人の食卓が洋風化されてきているので、若い人たちはどちらかというとフランス的な味付けを好むようになってきているのである。
さて結論は…、「フランス人の食卓は地味なのですよ」。

「一生忘れられない、思い出の味」
インスタントチキンラーメンを食べるため、チューリッヒに住んでいるK君が急行列車に乗ってやってきた。
「元気でやっていますか?たまにはベルンに遊びに来てください。日本からラーメンを送ってきたので食べにおいでよ」
ベルンの街の中心にあるチークロック(時計台)の写っている絵ハガキをK君宛に出しておいた。K君はこのハガキを受け取るとすぐに休日を変更してやってきたのである。 「ラーメンと聞いちゃ我慢ができないよ。ゴチになりま~す!」 たった一杯のチキンラーメンは、急行列車に乗ってやってくる程、当時の私達には魅力のある「ゴチソウ」だったのである。
スイス ベルン市 時計台
1960年東京オリンピックが開催される一年前である。西洋料理の団体である全日本司厨士協会より青年欧州派遣司厨士という肩書きをもらっての料理修行時の話である。料理の勉強に来ているのに当時の私達の不満は日本の食事ができないということであった。渡欧生活が長引くにつれ、日本の食事を食べたり、自分たちで作ることもできるようになってくるのだが、最初の一年間が日本食へのストレスがたまる時でもあった。「ごはん」「みそ汁」「刺身」「漬け物」「キンピラ」「イモの煮っころがし」。ノートに絵をかいてみたり「今夜は縄のれんで焼き鳥で一杯」なんて夢も見たものである。職場に慣れてくるとホームシックにかかる。日本の食事を食べたいというのも、このホームシックの原因になっていたのだ。
日本の母親に「元気でやっています」と近況報告の手紙の中で「日本の食べ物の夢を見ます」と、ついうっかり本当の事を書いてしまった。母は周りの人に手伝ってもらって、ダンボール箱に煎餅や飴やカリントウ、甘納豆等を入れて送ってくれたのである。この中に5ケのインスタントラーメンが入っていたのである。K君にはこの中の1ケのラーメンが分け前として振る舞われたのである。 「うまかったな~。スイスに来て初めて食べたラーメンだよ。こんなにうまいものはスイスにはないよな~。チューリッヒから来た甲斐があったよ…。」と、K君はひとりごちながら器の汁を全部すすっていた。
スイスの税関では見たこともないインスタントラーメンや、大きくて丸い「煎餅」には戸惑いもあったのだろう。このかたまりの中に何かがあるのだろうと半分どころか四つ割り、中には八つ割りにして調べた後があった。おかげでラーメンは短く、煎餅は柿の種のようになっていた。この一杯の「インスタントラーメン」、そしてパリパリッとした歯ざわりの「煎餅」の味は一生涯忘れられない「思い出の味」として今も残っているのである。
インスタントチキンラーメンを食べるため、チューリッヒに住んでいるK君が急行列車に乗ってやってきた。
「元気でやっていますか?たまにはベルンに遊びに来てください。日本からラーメンを送ってきたので食べにおいでよ」
ベルンの街の中心にあるチークロック(時計台)の写っている絵ハガキをK君宛に出しておいた。K君はこのハガキを受け取るとすぐに休日を変更してやってきたのである。 「ラーメンと聞いちゃ我慢ができないよ。ゴチになりま~す!」 たった一杯のチキンラーメンは、急行列車に乗ってやってくる程、当時の私達には魅力のある「ゴチソウ」だったのである。
スイス ベルン市 時計台
1960年東京オリンピックが開催される一年前である。西洋料理の団体である全日本司厨士協会より青年欧州派遣司厨士という肩書きをもらっての料理修行時の話である。料理の勉強に来ているのに当時の私達の不満は日本の食事ができないということであった。渡欧生活が長引くにつれ、日本の食事を食べたり、自分たちで作ることもできるようになってくるのだが、最初の一年間が日本食へのストレスがたまる時でもあった。「ごはん」「みそ汁」「刺身」「漬け物」「キンピラ」「イモの煮っころがし」。ノートに絵をかいてみたり「今夜は縄のれんで焼き鳥で一杯」なんて夢も見たものである。職場に慣れてくるとホームシックにかかる。日本の食事を食べたいというのも、このホームシックの原因になっていたのだ。
日本の母親に「元気でやっています」と近況報告の手紙の中で「日本の食べ物の夢を見ます」と、ついうっかり本当の事を書いてしまった。母は周りの人に手伝ってもらって、ダンボール箱に煎餅や飴やカリントウ、甘納豆等を入れて送ってくれたのである。この中に5ケのインスタントラーメンが入っていたのである。K君にはこの中の1ケのラーメンが分け前として振る舞われたのである。 「うまかったな~。スイスに来て初めて食べたラーメンだよ。こんなにうまいものはスイスにはないよな~。チューリッヒから来た甲斐があったよ…。」と、K君はひとりごちながら器の汁を全部すすっていた。
スイスの税関では見たこともないインスタントラーメンや、大きくて丸い「煎餅」には戸惑いもあったのだろう。このかたまりの中に何かがあるのだろうと半分どころか四つ割り、中には八つ割りにして調べた後があった。おかげでラーメンは短く、煎餅は柿の種のようになっていた。この一杯の「インスタントラーメン」、そしてパリパリッとした歯ざわりの「煎餅」の味は一生涯忘れられない「思い出の味」として今も残っているのである。

「おいしさとは?」
R市の市長さんに「イマイシェフ、おいしいってことはどういうこと?」と質問された。 会話での冒頭でいきなりこう話しかけてきたので戸惑いながらも「お腹を空かせていればおいしさがわかりますよ」私の返事に市長は明らかに何か反論がありそうだったが、話題は別の方向へとうつっていったので、それ以上に「おいしさ」についての話はとぎれた。その後、市長とは逢うこともなく、この「おいしさ」についての話しを機会があればもう少しつけ加えたい気持ちだけが残っていた。
満腹のときは食欲がみたされ過ぎているので「味」に対しては何の感情も湧いて来ない、舌の感覚も鈍り身体全体が「もう何も食べれません」と拒否の反応をする、これはもう「おいしさ」とはかけ離れたいわゆる苦痛でしかない食事になってしまうのである。
職業柄、フランス料理を食べるときはなんとなくその料理が気になってしまい、よほど「おいしく」ないと「ダメ」の判定をすぐに出してしまう。和食、中国料理のように気にせずリラックスして食べればよいのだろうが、つい材料や味付け、そしてお皿への盛り付けなどが気になってしまって「おいしさ」の気分から遠ざかっているのである。残念なことだがまだまだ続きそうである。
私には食事をすることが苦痛だという経験がある。フランス・マルセイユに旅行したのは渡欧して2年目のバカンスであった。マルセイユの港に3日間滞在した。目的は本場マルセイユでヴイヤベースを食べることにあった。出来るだけたくさんの店でヴイヤベースを食べておこうと2日間で8軒のレストランに行きヴイヤベースを食べた。
ヴイヤベースとは魚料理。サフラン、オリーブオイル、ニンニク、トマトが入り、どろっと他の野菜を煮くずして作るのであるが「味」がわかったのは最初の1軒目で、続けてその日は4軒の店で食べたのである。1日目はどうにかクリヤーしたが2日目の4軒のトライがつらかったのである。 胃袋が受けつけなくなる。レストランの入り口を入っただけでその症状が出るのである。もうこうなると自分との戦いである。せめてもう1軒「味」を確かめたい、「味わう」のではなく「見てみたい」、この気持ちがついに都合8軒の店のヴイヤベースを食べたのである。3日目はホテルで何も食べずひたすら薬(胃薬)を飲んで体力の回復を待ったのである。
これほどまでしてヴイヤベースの「味」をみたかったのは、スイスに出稼ぎに来たフランス人コックが、スイス人コックのつくったヴイヤベースに「ケチ」をつけたからである。フランス人コックは、「地元マルセイユではそれはすばらしい味のヴイヤベースがあり、これを食べなければヴイヤベースを食べたことにはならない」と自慢したのである。「それも1軒じゃダメだ、せめて5軒は食べないとヴイヤベースの話はするまいぞ」と強く私にむかって吠えたのである。私は「吠える奴」は大嫌いだ!犬もしたがって好きではない。それが原因となると大人げないが、当時の私は全て戦いであったのだ。
メロメロになりダウンして食べたマルセイユのヴイヤベースは「おいしい」のではなく「苦しい味」だけが印象に残った。 帰国しても私のメニューの中にはヴイヤベースはなかった。どうにか平常心でヴイヤベースがメニューに載せられるようになったのは2年ぐらいかかったような気がする。ヴイヤベースの食べ過ぎによる拒食症「おいしいものを求めて」いくと食べなくてはならない、食べることは苦痛なのである。やはり「おいしさ」とは「お腹が空いていること」これが一番の条件なのである。
R市の市長さんに「イマイシェフ、おいしいってことはどういうこと?」と質問された。 会話での冒頭でいきなりこう話しかけてきたので戸惑いながらも「お腹を空かせていればおいしさがわかりますよ」私の返事に市長は明らかに何か反論がありそうだったが、話題は別の方向へとうつっていったので、それ以上に「おいしさ」についての話はとぎれた。その後、市長とは逢うこともなく、この「おいしさ」についての話しを機会があればもう少しつけ加えたい気持ちだけが残っていた。
満腹のときは食欲がみたされ過ぎているので「味」に対しては何の感情も湧いて来ない、舌の感覚も鈍り身体全体が「もう何も食べれません」と拒否の反応をする、これはもう「おいしさ」とはかけ離れたいわゆる苦痛でしかない食事になってしまうのである。
職業柄、フランス料理を食べるときはなんとなくその料理が気になってしまい、よほど「おいしく」ないと「ダメ」の判定をすぐに出してしまう。和食、中国料理のように気にせずリラックスして食べればよいのだろうが、つい材料や味付け、そしてお皿への盛り付けなどが気になってしまって「おいしさ」の気分から遠ざかっているのである。残念なことだがまだまだ続きそうである。
私には食事をすることが苦痛だという経験がある。フランス・マルセイユに旅行したのは渡欧して2年目のバカンスであった。マルセイユの港に3日間滞在した。目的は本場マルセイユでヴイヤベースを食べることにあった。出来るだけたくさんの店でヴイヤベースを食べておこうと2日間で8軒のレストランに行きヴイヤベースを食べた。
ヴイヤベースとは魚料理。サフラン、オリーブオイル、ニンニク、トマトが入り、どろっと他の野菜を煮くずして作るのであるが「味」がわかったのは最初の1軒目で、続けてその日は4軒の店で食べたのである。1日目はどうにかクリヤーしたが2日目の4軒のトライがつらかったのである。 胃袋が受けつけなくなる。レストランの入り口を入っただけでその症状が出るのである。もうこうなると自分との戦いである。せめてもう1軒「味」を確かめたい、「味わう」のではなく「見てみたい」、この気持ちがついに都合8軒の店のヴイヤベースを食べたのである。3日目はホテルで何も食べずひたすら薬(胃薬)を飲んで体力の回復を待ったのである。
これほどまでしてヴイヤベースの「味」をみたかったのは、スイスに出稼ぎに来たフランス人コックが、スイス人コックのつくったヴイヤベースに「ケチ」をつけたからである。フランス人コックは、「地元マルセイユではそれはすばらしい味のヴイヤベースがあり、これを食べなければヴイヤベースを食べたことにはならない」と自慢したのである。「それも1軒じゃダメだ、せめて5軒は食べないとヴイヤベースの話はするまいぞ」と強く私にむかって吠えたのである。私は「吠える奴」は大嫌いだ!犬もしたがって好きではない。それが原因となると大人げないが、当時の私は全て戦いであったのだ。
メロメロになりダウンして食べたマルセイユのヴイヤベースは「おいしい」のではなく「苦しい味」だけが印象に残った。 帰国しても私のメニューの中にはヴイヤベースはなかった。どうにか平常心でヴイヤベースがメニューに載せられるようになったのは2年ぐらいかかったような気がする。ヴイヤベースの食べ過ぎによる拒食症「おいしいものを求めて」いくと食べなくてはならない、食べることは苦痛なのである。やはり「おいしさ」とは「お腹が空いていること」これが一番の条件なのである。

「チーズホンデュ」
ジュネーブの駅前をモンブラン橋へ向かい右手の路地を入ると「チーズホンデュ」の匂いがしてくる。強烈なチーズの匂いは、ワインとの混ざりあいでむせかえる程である。
しかし、いったん店の中に入り、「チーズホンデュ」を注文し食べはじめると、この「匂い」がたまらないおいしさになる。口当たりのよいスイスワインを飲みながら食べる「チーズホンデュ」の味は最高である。
「チーズホンデュ」の作り方は「ホンデュ鍋」に白ワインを入れ火にかけ、少量 の刻んだにんにくを入れ、エメンタールとグリエチーズを半々に「ささ切りゴボウ」のように切り(これ専用の「おろし金」がある)沸騰している鍋の中に入れる。チーズに熱が加えられると溶けてくるので、その時に「キルシュ酒(サクランボのリキュール酒)」でといたコンスターチを入れると「とろみ」がついてくる。とろみがつくとコゲつきやすくなるので弱火にする。専用の串にフランスパンの小切れを刺して、これでかき混ぜるようにして「からまった溶けたチーズ」を食べていくのである。一人で食べるものではなく何人かで「鍋」を囲んで食べるため、誰かのパンを刺した串が「鍋」の中を「かきまわす」ようになる。
ホンデュの味は、作り始めはワインの味が強く、食べているうちに「チーズ」の味が強くなってくる。このだんだんに味が濃くなっていくのが「たまらないチーズホンデュ」の味の魅力であろう。また、食べ終わってから鍋の底についている「オコゲ」がすばらしくうまい。 客として店の中にいる時にはこの「うまさ」にありつけない。この「オコゲ」が食べられるのは店内からこのホンデュの鍋が戻ってくる洗い場のところである。すなわち料理場の中ということになる。「おいしさ」には国境は関係なく、早い者勝ちでこの「オコゲ」に群がるのである。
この本場スイスの「チーズホンデュ」の作り方を料理教室や調理師学校で教えているが14~5年前は「くさい」といって食べようとせず、遠巻きに鍋を見つめていたが、今は好んで食べるようになってきた。このオコゲもおいしいのだと教えると、無理に「コゲ」を作ったりして食べている。わずか10数年で日本の食生活が大きく変化した現れであろう。
「チーズホンデュ」の季節はやはり冬であって「鍋のおいしさ」は他の鍋物と同じである。しかし、「レストラン」でこのメニューを加えるのは難しく、つい迷っているうちに冬が終わってしまうのである。 とまどいの原因はやはりあの匂いにある。食べている人には「おいしい味」でも、食べていない人には「おいしさ」はなく、ただチーズの溶けた「くさい匂い」だけがおそってくる。 これを考えると、ついメニューには加えられないのである。
今年の冬は思いきってベランダでやってみようかな……。 その時は防寒着も必要だ、「おいしいもの」を食べるためにはいろいろと苦労するのである。
ジュネーブの駅前をモンブラン橋へ向かい右手の路地を入ると「チーズホンデュ」の匂いがしてくる。強烈なチーズの匂いは、ワインとの混ざりあいでむせかえる程である。
しかし、いったん店の中に入り、「チーズホンデュ」を注文し食べはじめると、この「匂い」がたまらないおいしさになる。口当たりのよいスイスワインを飲みながら食べる「チーズホンデュ」の味は最高である。
「チーズホンデュ」の作り方は「ホンデュ鍋」に白ワインを入れ火にかけ、少量 の刻んだにんにくを入れ、エメンタールとグリエチーズを半々に「ささ切りゴボウ」のように切り(これ専用の「おろし金」がある)沸騰している鍋の中に入れる。チーズに熱が加えられると溶けてくるので、その時に「キルシュ酒(サクランボのリキュール酒)」でといたコンスターチを入れると「とろみ」がついてくる。とろみがつくとコゲつきやすくなるので弱火にする。専用の串にフランスパンの小切れを刺して、これでかき混ぜるようにして「からまった溶けたチーズ」を食べていくのである。一人で食べるものではなく何人かで「鍋」を囲んで食べるため、誰かのパンを刺した串が「鍋」の中を「かきまわす」ようになる。
ホンデュの味は、作り始めはワインの味が強く、食べているうちに「チーズ」の味が強くなってくる。このだんだんに味が濃くなっていくのが「たまらないチーズホンデュ」の味の魅力であろう。また、食べ終わってから鍋の底についている「オコゲ」がすばらしくうまい。 客として店の中にいる時にはこの「うまさ」にありつけない。この「オコゲ」が食べられるのは店内からこのホンデュの鍋が戻ってくる洗い場のところである。すなわち料理場の中ということになる。「おいしさ」には国境は関係なく、早い者勝ちでこの「オコゲ」に群がるのである。
この本場スイスの「チーズホンデュ」の作り方を料理教室や調理師学校で教えているが14~5年前は「くさい」といって食べようとせず、遠巻きに鍋を見つめていたが、今は好んで食べるようになってきた。このオコゲもおいしいのだと教えると、無理に「コゲ」を作ったりして食べている。わずか10数年で日本の食生活が大きく変化した現れであろう。
「チーズホンデュ」の季節はやはり冬であって「鍋のおいしさ」は他の鍋物と同じである。しかし、「レストラン」でこのメニューを加えるのは難しく、つい迷っているうちに冬が終わってしまうのである。 とまどいの原因はやはりあの匂いにある。食べている人には「おいしい味」でも、食べていない人には「おいしさ」はなく、ただチーズの溶けた「くさい匂い」だけがおそってくる。 これを考えると、ついメニューには加えられないのである。
今年の冬は思いきってベランダでやってみようかな……。 その時は防寒着も必要だ、「おいしいもの」を食べるためにはいろいろと苦労するのである。

「シュークルート」
ドイツ語でザワクロート、フランス語でシュークルート、日本語に訳して「酢っぱいキャベツ」。
シュークルートの作り方は、細切りにしたキャベツに2割ぐらいの塩、ネズの実、ロリエ、丁字を入れ、重しをのせて漬け込む。2~3日で水があがってくる。ほこりが入らないようビニールをかけ、冷暗所に1カ月ぐらいおく(キャベツの種類にもよるがスイスでは3~4ヶ月漬け込んでいた)。その漬け込み期間が長い程、程よい酸味がでて美味しくなるが、この味覚は日本人向きではない。漬け込んであるキャベツから出た水の表面 にうっすらと「白カビ」がでる。「これがでてくると、キャベツがうまく発酵してきたのだ」と、この液をコップに入れてグイッと飲んでみせてくれた「べーラン・ベア」はドイツ人。「ウンダバァー」とごきげんに笑ってみせた。健康に良い、二日酔いに良い、胃が痛い時に良い、と良いづくめの「白カビ液」は香りも良いし、甘味もある。しかし、塩辛いのは当然である。 この漬け込んだキャベツを水洗いをする。まだ塩分が強く感じられる時に水から取り出し「鍋に入れ」、白ワイン(ドイツ人のベアはビールを入れた)、ラード、豚肉の塩漬け、ベーコンを入れて煮込む。長期漬け込んだキャベツは、しばらく煮込んでも良いが、短期間の漬け込みキャベツはすぐに柔らかくなってしまうため、本来のシュークルートの味ではない。
一緒に煮た豚肉もキャベツとの相性が良く、マスタードをつけながら食べると最高である。しかし、残念ながら漬け込み期間とそれに加えられた手間のかかるこの料理は、日本人にはあまり好まれていない。「酢っぱいキャベツ」のイメージは、「酢っぱさ」が先行してしまって、このキャベツの持っている本当の美味しさが伝わらないのである。シュークルートの好きな人にはこの味がたまらない魅力で、「うーん食べたいなー」と口を突き出し、本当に食べたいという気持ちを前面 に表すのである。
私もこのシュークルートが大好きで、旅行に行く目的がこれを食べることにある。本場ドイツばかりでなく、スイス、フランスでも食べられるので嬉しい限りである。しかし、パリではどこのレストランにあるわけではなく「アルザス料理」の看板の店を探さねばならないが……。
このシュークルートの漬け込みを日本で作る場合、長期にしようと思うと「黒カビ」が出てきてしまう。これが出ると、もう美味しいシュークルートではなくなってしまう。せめてこの「黒カビ」を出さないためには短期間の漬け込みにする。酸っぱさが出ないとシュークルートではないので、「酢」を加えてやってみる。「本場」のシュークルートにはずいぶんと劣るが、まあ、それなりの味が楽しめる。
日本で作って成功した例もある。「日本緑健」の永田さんの作ったキャベツを使用した時は「白カビ」がうまく水面 に浮かび、「酢ぱくて」「あまい」シュークルートができた。「味」はうまく出来たが、「キャベツ」の歯ざわりがイマイチで「やわらかく」、本来のシャッキリ感がないのが残念であった。
ドイツ語でザワクロート、フランス語でシュークルート、日本語に訳して「酢っぱいキャベツ」。
シュークルートの作り方は、細切りにしたキャベツに2割ぐらいの塩、ネズの実、ロリエ、丁字を入れ、重しをのせて漬け込む。2~3日で水があがってくる。ほこりが入らないようビニールをかけ、冷暗所に1カ月ぐらいおく(キャベツの種類にもよるがスイスでは3~4ヶ月漬け込んでいた)。その漬け込み期間が長い程、程よい酸味がでて美味しくなるが、この味覚は日本人向きではない。漬け込んであるキャベツから出た水の表面 にうっすらと「白カビ」がでる。「これがでてくると、キャベツがうまく発酵してきたのだ」と、この液をコップに入れてグイッと飲んでみせてくれた「べーラン・ベア」はドイツ人。「ウンダバァー」とごきげんに笑ってみせた。健康に良い、二日酔いに良い、胃が痛い時に良い、と良いづくめの「白カビ液」は香りも良いし、甘味もある。しかし、塩辛いのは当然である。 この漬け込んだキャベツを水洗いをする。まだ塩分が強く感じられる時に水から取り出し「鍋に入れ」、白ワイン(ドイツ人のベアはビールを入れた)、ラード、豚肉の塩漬け、ベーコンを入れて煮込む。長期漬け込んだキャベツは、しばらく煮込んでも良いが、短期間の漬け込みキャベツはすぐに柔らかくなってしまうため、本来のシュークルートの味ではない。
一緒に煮た豚肉もキャベツとの相性が良く、マスタードをつけながら食べると最高である。しかし、残念ながら漬け込み期間とそれに加えられた手間のかかるこの料理は、日本人にはあまり好まれていない。「酢っぱいキャベツ」のイメージは、「酢っぱさ」が先行してしまって、このキャベツの持っている本当の美味しさが伝わらないのである。シュークルートの好きな人にはこの味がたまらない魅力で、「うーん食べたいなー」と口を突き出し、本当に食べたいという気持ちを前面 に表すのである。
私もこのシュークルートが大好きで、旅行に行く目的がこれを食べることにある。本場ドイツばかりでなく、スイス、フランスでも食べられるので嬉しい限りである。しかし、パリではどこのレストランにあるわけではなく「アルザス料理」の看板の店を探さねばならないが……。
このシュークルートの漬け込みを日本で作る場合、長期にしようと思うと「黒カビ」が出てきてしまう。これが出ると、もう美味しいシュークルートではなくなってしまう。せめてこの「黒カビ」を出さないためには短期間の漬け込みにする。酸っぱさが出ないとシュークルートではないので、「酢」を加えてやってみる。「本場」のシュークルートにはずいぶんと劣るが、まあ、それなりの味が楽しめる。
日本で作って成功した例もある。「日本緑健」の永田さんの作ったキャベツを使用した時は「白カビ」がうまく水面 に浮かび、「酢ぱくて」「あまい」シュークルートができた。「味」はうまく出来たが、「キャベツ」の歯ざわりがイマイチで「やわらかく」、本来のシャッキリ感がないのが残念であった。

「フランス料理 食べ歩きツアー」
フランス料理教室の生徒さんから「フランス料理食べ歩きを企画してください」と頼まれ続けて5回行なった。秋から冬にかけての旅行であったが、多い時で30名、少なくても20名ぐらいの参加があった。男性は少なく圧倒的に女性の多いツアーのため、買物の楽しみもあって華やかな旅であった。
ミラノではひったくりなどの事故を防ぐため、ハンドバックは肩からお腹の方にかけるようにして自分の前においていつでも取られないように「ガードせよ」との添乗員の説明もあってか、全員が「バンド付ハンドバック」を肩からかけて、この上に冬だから「コート」を着る。そのスタイルで総勢30名がぞろぞろとミラノのショッピング街を歩くと「妊婦さん」の大行列である。いやおうなしに目立ち、珍しがられて通 りをあけてくれる人たちもいて「グラッツェ」を言いながらノッシ、ノッシと歩いていたのである。「これじゃお相撲さんだよ」と本人達も大笑いをする。にぎやかで楽しい旅は次の目的地へと「大型バス」で移動して行く。
ミラノからモナコへ向かう途中に食べた「ランチ」のラザニヤは「事故…もなく」開放感もあってか全員が残さずに召し上がっていたようだ。
旅行にはトラブルがつきもので、交通 事情で目的地に着くことができず、別の街に入ることになる。ところが日本の大手ツアー会社を利用していることと、添乗員がベテランなので次々と起こる問題がクリアされていくのには主催者としてはホッとするところである。おかげさまで身体の不調を訴える人は少なく、コートダジュール観光の拠点ともなるニースに到着、サラダニッソワーズを食べるんだと街にくり出して行くメンバーを見ると「食べる」ことが人生の全ての感あり……
ニースの海岸、ビーチは玉 砂利で有料ビーチには更衣室、シャワー、デッキチェアーなどが用意されているが11月では泳ぐ人はいない。ニース地方の料理は野菜が多く使用されるので日本人には好まれる。料理方法がシンプルなので受けるようである。ラタトゥーユなどその例であろう。
私はエスコフィエ会員になってから、旅行でエスコフィエ生誕の家の館長ラモーさん宅を訪ね、2週間程カンヌのとなり町、アンティーブで滞在したことがある。このあたりコートダジュールは大好きなところで暇があれば何回も来たいところである。ご一行様がイタリアを離れたから安心ではないのだが、ニースは気分も明るくするようだ。街へ買物に行く姿は軽装で妊婦スタイルではない。
集合して移動するバスの中では昨夜のディナーの話でもちきりである。オプションに参加する人、ぶらり街を散策していて、おいしそうな匂いに誘われて入り込んだ小さなレストランが「大満足」であったことなど、話題は「食べる」「次は何が食べたい」という話も加わって、皆さん日本のことはすっかり忘れている。後日わかったことだがほとんどの人が旅行カバンの中に「日本の味」をそっとしのばせていたのである。「うめ」「のり」「みそ汁」「お茶」「センベイ」「ソフトイカ」……etc……このころは飛行場の出発ロビーの売店で買うことが出来たので旅行慣れをした人たちはスタンバイにここを利用するのであった。バスの中ではこの「日本の味」が手渡しで少しずつでまわってくる。
「何も外国に来てまでも…」とぶつぶつ言いながらも、袋の中から「うめぼし」を1ヶつまんでお口に入れると、「お茶はないの…」なんてチャッカリ次のオーダーをしている人もいる…。元気なヒケツはこれにあったようだ。日本人の人たちは日本を離れることによって強いストレスを感じる。とくに「食べる」ことの変化にあるのだろうが「センベイ」を口にほおばりながら「ピザ」のおいしかった話をする。「カリントウ」を指でつまみながら「チョコレートムース」のデザートのすばらしかったディナーの話しをする。ハイウェーをとばすバスの車窓から見える景色の話題はあまりなく、「食べまくり」ご一行様は次の目的地「美食の都」リヨンへと向かって行くのであった。
今私のところにまわってきたのは「塩うす味たら」であった。これならビールなしでも食べられる。連夜つきあっているディナーのオプションに少し疲れはじめた胃袋を快復するだろう。しかし、油断するなよ!リヨンの味はしっかりしていて重いからな…と、自問自答して車内での眠りに落ちた。
フランス料理教室の生徒さんから「フランス料理食べ歩きを企画してください」と頼まれ続けて5回行なった。秋から冬にかけての旅行であったが、多い時で30名、少なくても20名ぐらいの参加があった。男性は少なく圧倒的に女性の多いツアーのため、買物の楽しみもあって華やかな旅であった。
ミラノではひったくりなどの事故を防ぐため、ハンドバックは肩からお腹の方にかけるようにして自分の前においていつでも取られないように「ガードせよ」との添乗員の説明もあってか、全員が「バンド付ハンドバック」を肩からかけて、この上に冬だから「コート」を着る。そのスタイルで総勢30名がぞろぞろとミラノのショッピング街を歩くと「妊婦さん」の大行列である。いやおうなしに目立ち、珍しがられて通 りをあけてくれる人たちもいて「グラッツェ」を言いながらノッシ、ノッシと歩いていたのである。「これじゃお相撲さんだよ」と本人達も大笑いをする。にぎやかで楽しい旅は次の目的地へと「大型バス」で移動して行く。
ミラノからモナコへ向かう途中に食べた「ランチ」のラザニヤは「事故…もなく」開放感もあってか全員が残さずに召し上がっていたようだ。
旅行にはトラブルがつきもので、交通 事情で目的地に着くことができず、別の街に入ることになる。ところが日本の大手ツアー会社を利用していることと、添乗員がベテランなので次々と起こる問題がクリアされていくのには主催者としてはホッとするところである。おかげさまで身体の不調を訴える人は少なく、コートダジュール観光の拠点ともなるニースに到着、サラダニッソワーズを食べるんだと街にくり出して行くメンバーを見ると「食べる」ことが人生の全ての感あり……
ニースの海岸、ビーチは玉 砂利で有料ビーチには更衣室、シャワー、デッキチェアーなどが用意されているが11月では泳ぐ人はいない。ニース地方の料理は野菜が多く使用されるので日本人には好まれる。料理方法がシンプルなので受けるようである。ラタトゥーユなどその例であろう。
私はエスコフィエ会員になってから、旅行でエスコフィエ生誕の家の館長ラモーさん宅を訪ね、2週間程カンヌのとなり町、アンティーブで滞在したことがある。このあたりコートダジュールは大好きなところで暇があれば何回も来たいところである。ご一行様がイタリアを離れたから安心ではないのだが、ニースは気分も明るくするようだ。街へ買物に行く姿は軽装で妊婦スタイルではない。
集合して移動するバスの中では昨夜のディナーの話でもちきりである。オプションに参加する人、ぶらり街を散策していて、おいしそうな匂いに誘われて入り込んだ小さなレストランが「大満足」であったことなど、話題は「食べる」「次は何が食べたい」という話も加わって、皆さん日本のことはすっかり忘れている。後日わかったことだがほとんどの人が旅行カバンの中に「日本の味」をそっとしのばせていたのである。「うめ」「のり」「みそ汁」「お茶」「センベイ」「ソフトイカ」……etc……このころは飛行場の出発ロビーの売店で買うことが出来たので旅行慣れをした人たちはスタンバイにここを利用するのであった。バスの中ではこの「日本の味」が手渡しで少しずつでまわってくる。
「何も外国に来てまでも…」とぶつぶつ言いながらも、袋の中から「うめぼし」を1ヶつまんでお口に入れると、「お茶はないの…」なんてチャッカリ次のオーダーをしている人もいる…。元気なヒケツはこれにあったようだ。日本人の人たちは日本を離れることによって強いストレスを感じる。とくに「食べる」ことの変化にあるのだろうが「センベイ」を口にほおばりながら「ピザ」のおいしかった話をする。「カリントウ」を指でつまみながら「チョコレートムース」のデザートのすばらしかったディナーの話しをする。ハイウェーをとばすバスの車窓から見える景色の話題はあまりなく、「食べまくり」ご一行様は次の目的地「美食の都」リヨンへと向かって行くのであった。
今私のところにまわってきたのは「塩うす味たら」であった。これならビールなしでも食べられる。連夜つきあっているディナーのオプションに少し疲れはじめた胃袋を快復するだろう。しかし、油断するなよ!リヨンの味はしっかりしていて重いからな…と、自問自答して車内での眠りに落ちた。

「韓国料理」
60才までの私は(現在66才)食べることが第一のシュミであった。朝食を食べながら昼食、そして夜の食事は…と、次の食べることを考えるのが習慣となっていた。これには「こだわり」があって「何でも食べれば良いのではなく、はっきりとした理由をつけて食べる」のである。「山荘」「オーベルジュ」のお泊まりの出来る宿の仕事をするようになってからはひかえめになったが、「旅行」に出かけるのも大切なことで、しかもそれは「食べる旅」であって名所旧跡などどうでもよかった。
ある時は「韓国の味」に熱中した。「焼肉」「キムチ」「ビビンバ」「どじょう汁」「参鶏湯」など食べまくったのである。4年連続、正月は「ソウル市」にいた。「一日一組のレストラン」をやっていたのでスケジュールは簡単に取れた「予約」を受けなければ良いのだから…あたり前だが…。 でも、これには「こだわり」があった。日本人は、正月は皆「おせち」を食べよう「フランス料理」は食べないでください。このようなスローガンのもとに自分はソウル市に行って韓国料理を食べていたのだから言い訳もあてにならないが、「この間に食べたい」…がやたら実行させたようだ。
ソウル市のホテルは「ロッテホテル」を常宿とした。これも「こだわりで」泊まるところも「良いホテル」「良い宿」が大切であった。旅行は食べるだけでなく気持ちをリラックスできなければならない。けっして贅沢をするのではなく、私の考えの中では「選ぶこと」、これが第一条件なのであった。次にパートナーである、言い訳がましくなるが、私の妻は和食党である。したがって油っぽいもの、とくに肉は好まない。そして匂いの強いものは食べない。中でも「にんにく」はとくにダメである。そうなると私のパートナーは限られてくる。当時小学6年生の息子が同行した。またある時は男性料理教室のメンバーが加わった。何回も韓国に来ているとはいえ、言葉がわからないのでいつも通 訳を頼んだ。とくに旅行会社に頼んで「食べる」ことを中心にするので、その方にくわしい人を選んでもらった。「買物」はしません。ということもつけ加えてもらった。
韓国料理の中でも宮廷料理は圧巻であった。たくさん並べられた料理の一品一品が日本料理の原点であるような気がした。味がこれまたすばらしく韓国料理のおいしさを堪能したのである。「どじょう汁」はずいぶんとこれを作る店を探したのである。ソウル市内では見つからず、一時間ほど車で走ったところまで出かけていって食べることができた。煮込んで骨は取り除いてあるので「どじょう」の形はないが味が実に濃厚で、入っている野菜もおいしかった。
気に入ったのは「参鶏湯」。これをスペシャルとして食べさせてくれる「村」まで出かけた。車で2時間たっぷりとかかったが、この料理ほど、「なるほど『味を創る』方法としては最高の技(わざ)なのだろう」と、しばらく「鍋」の中をのぞき込んだものである。地肌の黒さは気になったが、薬になるという「ウコッケイ」の腹の中に、朝鮮にんじん、もち米、野菜を詰め込んである。「丸」のままだからダイナミックである。「ハシ」で煮込んである「とり肉」をつまみ、塩をつける。またはキムチに包んで食べるのである。食べていきながら骨をくずしていく。骨は「つぼ」の中に取り出していくと鶏の腹の中に詰めた野菜ともち米が煮汁の中に混ざり、「おじや」のようになる。これにキムチをたっぷりと入れて「ふうふう」言いながら食べるのである。味は作るのではなく、この伝統ある料理は創られたのである。 通訳の話によると「二日酔」にはもってこいの料理と聞く。そんなとき食べたんじゃもったいないと思いながらも、実際に二日酔のとき食べたら本当にあっという間に治ったのである。
「焼き肉」は骨つきをハサミで切ってもらいながら食べる。炭火で焼くのだからなおさらうまい。韓国の牛肉は「焼き肉」にするための肉質だと思う。 ありがたいのは「キムチ」の種類が豊富なのと、食べるとどんどん「おかわり」をしてもってきてくれる。田舎育ちの私にはこの上ない「ごちそう」である。
60才を過ぎてからの私は、焼き肉はあまり食べなくなった。 韓国に行くチャンスがないのと、日本の国内ではあの「焼き肉」を食べさせてくれるところがないからであり、けっして年をとったからではない。「ぜいたく」をさせたかも知れない息子には、これは「お前の投資だからな、いつか「元」を返してくれよ」と伝えてある。
…今まだその返済はされていない。
60才までの私は(現在66才)食べることが第一のシュミであった。朝食を食べながら昼食、そして夜の食事は…と、次の食べることを考えるのが習慣となっていた。これには「こだわり」があって「何でも食べれば良いのではなく、はっきりとした理由をつけて食べる」のである。「山荘」「オーベルジュ」のお泊まりの出来る宿の仕事をするようになってからはひかえめになったが、「旅行」に出かけるのも大切なことで、しかもそれは「食べる旅」であって名所旧跡などどうでもよかった。
ある時は「韓国の味」に熱中した。「焼肉」「キムチ」「ビビンバ」「どじょう汁」「参鶏湯」など食べまくったのである。4年連続、正月は「ソウル市」にいた。「一日一組のレストラン」をやっていたのでスケジュールは簡単に取れた「予約」を受けなければ良いのだから…あたり前だが…。 でも、これには「こだわり」があった。日本人は、正月は皆「おせち」を食べよう「フランス料理」は食べないでください。このようなスローガンのもとに自分はソウル市に行って韓国料理を食べていたのだから言い訳もあてにならないが、「この間に食べたい」…がやたら実行させたようだ。
ソウル市のホテルは「ロッテホテル」を常宿とした。これも「こだわりで」泊まるところも「良いホテル」「良い宿」が大切であった。旅行は食べるだけでなく気持ちをリラックスできなければならない。けっして贅沢をするのではなく、私の考えの中では「選ぶこと」、これが第一条件なのであった。次にパートナーである、言い訳がましくなるが、私の妻は和食党である。したがって油っぽいもの、とくに肉は好まない。そして匂いの強いものは食べない。中でも「にんにく」はとくにダメである。そうなると私のパートナーは限られてくる。当時小学6年生の息子が同行した。またある時は男性料理教室のメンバーが加わった。何回も韓国に来ているとはいえ、言葉がわからないのでいつも通 訳を頼んだ。とくに旅行会社に頼んで「食べる」ことを中心にするので、その方にくわしい人を選んでもらった。「買物」はしません。ということもつけ加えてもらった。
韓国料理の中でも宮廷料理は圧巻であった。たくさん並べられた料理の一品一品が日本料理の原点であるような気がした。味がこれまたすばらしく韓国料理のおいしさを堪能したのである。「どじょう汁」はずいぶんとこれを作る店を探したのである。ソウル市内では見つからず、一時間ほど車で走ったところまで出かけていって食べることができた。煮込んで骨は取り除いてあるので「どじょう」の形はないが味が実に濃厚で、入っている野菜もおいしかった。
気に入ったのは「参鶏湯」。これをスペシャルとして食べさせてくれる「村」まで出かけた。車で2時間たっぷりとかかったが、この料理ほど、「なるほど『味を創る』方法としては最高の技(わざ)なのだろう」と、しばらく「鍋」の中をのぞき込んだものである。地肌の黒さは気になったが、薬になるという「ウコッケイ」の腹の中に、朝鮮にんじん、もち米、野菜を詰め込んである。「丸」のままだからダイナミックである。「ハシ」で煮込んである「とり肉」をつまみ、塩をつける。またはキムチに包んで食べるのである。食べていきながら骨をくずしていく。骨は「つぼ」の中に取り出していくと鶏の腹の中に詰めた野菜ともち米が煮汁の中に混ざり、「おじや」のようになる。これにキムチをたっぷりと入れて「ふうふう」言いながら食べるのである。味は作るのではなく、この伝統ある料理は創られたのである。 通訳の話によると「二日酔」にはもってこいの料理と聞く。そんなとき食べたんじゃもったいないと思いながらも、実際に二日酔のとき食べたら本当にあっという間に治ったのである。
「焼き肉」は骨つきをハサミで切ってもらいながら食べる。炭火で焼くのだからなおさらうまい。韓国の牛肉は「焼き肉」にするための肉質だと思う。 ありがたいのは「キムチ」の種類が豊富なのと、食べるとどんどん「おかわり」をしてもってきてくれる。田舎育ちの私にはこの上ない「ごちそう」である。
60才を過ぎてからの私は、焼き肉はあまり食べなくなった。 韓国に行くチャンスがないのと、日本の国内ではあの「焼き肉」を食べさせてくれるところがないからであり、けっして年をとったからではない。「ぜいたく」をさせたかも知れない息子には、これは「お前の投資だからな、いつか「元」を返してくれよ」と伝えてある。
…今まだその返済はされていない。

「幕の内弁当」
ジュネーブからパリへのTGVの中で食べた幕の内弁当はすこぶる評判が良かった。ジュネーブにある日本食材店「ミカド」のマスターは、元フランス料理のコックで、スイス人の奥さんと結婚してから「寿司」のテイクアウトの店を出店した。日本から弟もやってきて、兄弟の他に3~4人の日本人を使っていて結構繁盛していた。店で売るテイクアウトの寿司の他に、日本関係の大使館や領事館への出張料理などもやって、客の前で握る寿司の「モギ店」なども好評との事であった。このマスター兄弟とは友達で、スイスに行くと必ずジュネーブに行って逢うことにしている。
TGVの幕の内弁当は、この「ミカド」に頼んで作ってもらったのである。食べているお客様は「フランス料理 今井」料理教室の「ヨーロッパ食べ歩き」のメンバーである。約25名の団体ツアーは男性が少なくわずかの6名。あとは女性でにぎやかで、そして華やかである。
チューリッヒ、ベルン、ローザンヌ、ジュネーブと、スイス料理をたっぷりと食べた3日間。そろそろこの辺りで日本の味をと、こっそりと「チリメンジャコ」や、「味噌づけ」や「梅干し」等を持参したのである。「ミカド」のマスターにお願いして、新鮮な鮭の塩焼きや煮物等を加えて作ってもらった弁当は、TGVの中の「食堂」ではない客車の中で「一斉」に「箸」を持った群集に食べ尽くされたのである。幸いに一列車のほとんどがうめ尽くされていたが、それでも他のお客様も乗り合わせていて、「カメラ」におさめているアメリカ人もいる。「200キロ」のスピードを表示している車中で幕の内を食べるシーンは、企画の中ではそれ程深く考えていなかったが、それを目の前にすると少しばかり「やり過ぎ」かなと反省の念をもったほどである。
しかし「おいしいね」「うまいなー」「やはり日本人はこれが一番よ」「死んでも良い」なんて物騒な声も聞こえたが、にこやかに「食べた」満足感をあらわしているご一行様を見ると日本人は「やっぱり日本人」なのだ。外国旅行が簡単にできるようになったとはいえ、日本から一歩出ると「ふだんの食事」から離れたショックがすぐにストレスとなってあらわれるのである。
「あの時のTGVの中の幕の内弁当、おいしかったですね」…この旅行に参加された方と久しぶりにお遭いした。15年前の「幕の内の中身」を覚えていたのである。オプションであったが、この方は「たしか三ツ星レストランで食事をされていたのに…」その店の料理の話はついに話題に出されなかったのである。
「幕の内弁当」万歳! 「味の思い出」はすばらしいものである
ジュネーブからパリへのTGVの中で食べた幕の内弁当はすこぶる評判が良かった。ジュネーブにある日本食材店「ミカド」のマスターは、元フランス料理のコックで、スイス人の奥さんと結婚してから「寿司」のテイクアウトの店を出店した。日本から弟もやってきて、兄弟の他に3~4人の日本人を使っていて結構繁盛していた。店で売るテイクアウトの寿司の他に、日本関係の大使館や領事館への出張料理などもやって、客の前で握る寿司の「モギ店」なども好評との事であった。このマスター兄弟とは友達で、スイスに行くと必ずジュネーブに行って逢うことにしている。
TGVの幕の内弁当は、この「ミカド」に頼んで作ってもらったのである。食べているお客様は「フランス料理 今井」料理教室の「ヨーロッパ食べ歩き」のメンバーである。約25名の団体ツアーは男性が少なくわずかの6名。あとは女性でにぎやかで、そして華やかである。
チューリッヒ、ベルン、ローザンヌ、ジュネーブと、スイス料理をたっぷりと食べた3日間。そろそろこの辺りで日本の味をと、こっそりと「チリメンジャコ」や、「味噌づけ」や「梅干し」等を持参したのである。「ミカド」のマスターにお願いして、新鮮な鮭の塩焼きや煮物等を加えて作ってもらった弁当は、TGVの中の「食堂」ではない客車の中で「一斉」に「箸」を持った群集に食べ尽くされたのである。幸いに一列車のほとんどがうめ尽くされていたが、それでも他のお客様も乗り合わせていて、「カメラ」におさめているアメリカ人もいる。「200キロ」のスピードを表示している車中で幕の内を食べるシーンは、企画の中ではそれ程深く考えていなかったが、それを目の前にすると少しばかり「やり過ぎ」かなと反省の念をもったほどである。
しかし「おいしいね」「うまいなー」「やはり日本人はこれが一番よ」「死んでも良い」なんて物騒な声も聞こえたが、にこやかに「食べた」満足感をあらわしているご一行様を見ると日本人は「やっぱり日本人」なのだ。外国旅行が簡単にできるようになったとはいえ、日本から一歩出ると「ふだんの食事」から離れたショックがすぐにストレスとなってあらわれるのである。
「あの時のTGVの中の幕の内弁当、おいしかったですね」…この旅行に参加された方と久しぶりにお遭いした。15年前の「幕の内の中身」を覚えていたのである。オプションであったが、この方は「たしか三ツ星レストランで食事をされていたのに…」その店の料理の話はついに話題に出されなかったのである。
「幕の内弁当」万歳! 「味の思い出」はすばらしいものである