夢を持とうよ、そして人生を豊かにしようぜ!
中学を卒業する時まで私は「医者」になろうと思っていたのである。夜学に通いながら勉強をする。職業もいくつか変えながら一学期が終わろうとする頃、仕事をしながらの勉強は大変過酷なことに気が付き、ここで医者になることは「挫折」するのである。この時の私の夢は、労苦して私たち兄妹を育てている母親を喜ばせたいための、今考えれば「絶対になることはできない夢」であったのである。家を出る時に「立派な医者になるよ」と大見栄をきった当時を考えると夢は残酷であった。
進学を諦めた後、ハローワークに行き、「東京で見習コックを募集しているところがあるよ」と、新聞の切抜きをもらい、「コックなら食べるのに苦労しないよ」という係りの人の話を聞き、いつも腹を減らしている自分にとって「またとないチャンス」と上京するのである。
今考えればまったく無鉄砲と世間知らnaずもいいところで、それを実行したのであるから、知らないということは恐ろしいことである。 しかし、世の中うまくいったもので、この「上京」がその店で働くきっかけとなったのである。その日の面接は苦労人の社長が一人ずつ会って話を聞き、たくさんの募集の中から数人を選んだのである。あとで知ったことであるが、実に数%の就職率であった。この店に入れたことが私のコック人生のスタートである。
見習コックになると、ここで私の小さな夢が少しずつ膨らんでくる。仕事を覚えたいという気持ちが自分の技術を向上させ、ナイフを持って「切る」作業や、フライパンを使用しての仕事など、次から次へと身体全体でぶつかっていった。蹴飛ばされたり殴られたりしたこともあったが、それは仕事の未熟さのための「叱咤激励」であって、愛のムチとありがたく受け入れたのである。 何軒かの店に移り渡り歩いたのも、仕事をさらに覚えるためであった。友人も出来、先輩も出来るとそこからの誘いもあったからである。
職場を変わることによって新しいことを覚えることが出来るということは、夢が膨らみ、そしてはじける風船を膨らませて割るようなもので、たくさんの風船が膨らんでは消えていったのである。
中学を卒業する時まで私は「医者」になろうと思っていたのである。夜学に通いながら勉強をする。職業もいくつか変えながら一学期が終わろうとする頃、仕事をしながらの勉強は大変過酷なことに気が付き、ここで医者になることは「挫折」するのである。この時の私の夢は、労苦して私たち兄妹を育てている母親を喜ばせたいための、今考えれば「絶対になることはできない夢」であったのである。家を出る時に「立派な医者になるよ」と大見栄をきった当時を考えると夢は残酷であった。
進学を諦めた後、ハローワークに行き、「東京で見習コックを募集しているところがあるよ」と、新聞の切抜きをもらい、「コックなら食べるのに苦労しないよ」という係りの人の話を聞き、いつも腹を減らしている自分にとって「またとないチャンス」と上京するのである。
今考えればまったく無鉄砲と世間知らnaずもいいところで、それを実行したのであるから、知らないということは恐ろしいことである。 しかし、世の中うまくいったもので、この「上京」がその店で働くきっかけとなったのである。その日の面接は苦労人の社長が一人ずつ会って話を聞き、たくさんの募集の中から数人を選んだのである。あとで知ったことであるが、実に数%の就職率であった。この店に入れたことが私のコック人生のスタートである。
見習コックになると、ここで私の小さな夢が少しずつ膨らんでくる。仕事を覚えたいという気持ちが自分の技術を向上させ、ナイフを持って「切る」作業や、フライパンを使用しての仕事など、次から次へと身体全体でぶつかっていった。蹴飛ばされたり殴られたりしたこともあったが、それは仕事の未熟さのための「叱咤激励」であって、愛のムチとありがたく受け入れたのである。 何軒かの店に移り渡り歩いたのも、仕事をさらに覚えるためであった。友人も出来、先輩も出来るとそこからの誘いもあったからである。
職場を変わることによって新しいことを覚えることが出来るということは、夢が膨らみ、そしてはじける風船を膨らませて割るようなもので、たくさんの風船が膨らんでは消えていったのである。