バリ島にレストランという夢
「本」を読もうと5冊程持っていったが、バリ島のあの雰囲気の中では気持ちを集中する気分になれず、ただ「ボケー」と一週間をすごしたので読書はほとんどせずに、滞在したホテルにあげてしまった。 休日をとる、余暇を楽しむということを従業員にも勧めているので、このバリ島行きにも2人のスタッフが同行した。彼らもバリ島でのバケーションの過ごし方を気にいってくれたのである。
ところが食事が「まずい」ため、食事をする都度文句を言った。朝食のバイキングにも文句を言い、昼・夜の料理にも「こうすればおいしくなるよ」とホテルのスタッフに言っているのを、支配人が聞き付けたのである。このホテルには日本人の女性スタッフが働いていて、この人と暇を持て余していた私は、自己紹介をしたりしていたので、この女性スタッフから私のことは知らされたようだ。偶然にも日本で私のことをテレビで見ていたというスタッフは、こと詳しく説明をしたのである。
支配人は早速私を呼び止め、「日本の有名なシェフとは知らず失礼しました。失礼ついでに、このお泊りの間だけでも少しアドバイスをいただけないだろうか」と、通訳を兼ねた日本人スタッフを通じて申し込んできたのである。毎日することなく、バカンスはこんなものだろうと気を抜いていた自分にとって、「仕事への意欲」を目覚めさせてくれたのがうれしくなり、このホテルの料理長を紹介され、話をしていると「次はいつこのバリ島に来てくれるのですか?」という言葉に「来月くるよ・・」と簡単に答えてしまった。
バリ島でレストランをやる、こんなことが実現した瞬間である。「暇な日を選んで知らせます」「その時の滞在費用はホテルが出します」という話がまとまり、その後バリ島行きは月に一回のペースで14回程続いたのである。 旅行ツアーの方でも「今井シェフ」がいるホテルを紹介する、そしてその料理が食べられる日をスケジュールに組んでお客を送り込んできたので、ホテル側にとっても良いことであった。「アクティ森」のスタッフも順にバリ島に連れて行くことにしたので、皆楽しんでくれた。スタッフの中には3回、4回と行く者がでてきてバリ島のホテルのスタッフとも、すっかり仲良くなったりした。
私には、大きな夢が膨らんでいた。それは日本に「洋食」というものができたように、このバリ島で何か新しい献立をつくろうということであった。食事の「まずさ」は現地にある日本料理店、そして自分で作ってみたハンバーグやカレーライス、ハヤシライスなど全てがおいしくなかった。料理作りをしているうち、その難しさの原因に気がつくまで時間がかかったが、日本からのツアーの人たちは、おなじみの日本の洋食、おふくろの味をそれなりに喜んで食べてくれていたので、「まずさ」の原因がわかった時はガクゼンとした。
それは、インドネシア・バリ島の「野菜」のまずさと気候にあった。バリ島でも海から離れたウブ島まで行けば涼しさを感じられるが、私の泊まっているホテルはクタ島にあり、日中の暑さは40度を越えるような高温と、それを避けるために旅行者はクーラーの効いた部屋の中に入るので、その温度差だけでもう食欲がなくなってしまうのである。このなくなった食欲を冷たい飲み物でおぎなうので、ますます食欲がなくなる。なんとか食べようとする時、日本で慣れ親しんだ洋食やおふくろの味は「味気の無いもの」になってしまうのである。 やはり暑い所では、スパイスのしっかり使われたものでなければおいしくないのである。それはバリ島のコックの作るスパイシーな料理が一番なのである。こう気がついた時、バリ島行きの興味が半減したのである。 バリ島は一生に一度行けばよい。時折、支配人から「次はいつくるのか」と言う手紙はもらったが、私の気持ちはバリ島から遠のいていったのである。
バリ島が好きでなくなった理由に、季節感がないことがある。「冬」木々から葉がなくなり、あの枯れた景色が私は大好きだ。「春」それが芽生え緑になると、全てが生き返っていく様を見る事ができる。「夏」暑くとも2ヶ月ぐらいで終わり、さわやかな「秋」を迎えることができる。これはすばらしいことである。こんなすばらしいところに、自分たちは「山荘」を建てたのである。もっと真剣にこの仕事に取り組まなければならない。この思いは、バリ島行きをあきらめるのに充分であった。それからの私は「三鞍の山荘」への思いが一気に膨らんできた。「オーベルジュ」としての立派な施設を持っているので、それを活かせることは本腰を入れることだと、あたり前のことが私にやる気を出させたのである。
「本」を読もうと5冊程持っていったが、バリ島のあの雰囲気の中では気持ちを集中する気分になれず、ただ「ボケー」と一週間をすごしたので読書はほとんどせずに、滞在したホテルにあげてしまった。 休日をとる、余暇を楽しむということを従業員にも勧めているので、このバリ島行きにも2人のスタッフが同行した。彼らもバリ島でのバケーションの過ごし方を気にいってくれたのである。
ところが食事が「まずい」ため、食事をする都度文句を言った。朝食のバイキングにも文句を言い、昼・夜の料理にも「こうすればおいしくなるよ」とホテルのスタッフに言っているのを、支配人が聞き付けたのである。このホテルには日本人の女性スタッフが働いていて、この人と暇を持て余していた私は、自己紹介をしたりしていたので、この女性スタッフから私のことは知らされたようだ。偶然にも日本で私のことをテレビで見ていたというスタッフは、こと詳しく説明をしたのである。
支配人は早速私を呼び止め、「日本の有名なシェフとは知らず失礼しました。失礼ついでに、このお泊りの間だけでも少しアドバイスをいただけないだろうか」と、通訳を兼ねた日本人スタッフを通じて申し込んできたのである。毎日することなく、バカンスはこんなものだろうと気を抜いていた自分にとって、「仕事への意欲」を目覚めさせてくれたのがうれしくなり、このホテルの料理長を紹介され、話をしていると「次はいつこのバリ島に来てくれるのですか?」という言葉に「来月くるよ・・」と簡単に答えてしまった。
バリ島でレストランをやる、こんなことが実現した瞬間である。「暇な日を選んで知らせます」「その時の滞在費用はホテルが出します」という話がまとまり、その後バリ島行きは月に一回のペースで14回程続いたのである。 旅行ツアーの方でも「今井シェフ」がいるホテルを紹介する、そしてその料理が食べられる日をスケジュールに組んでお客を送り込んできたので、ホテル側にとっても良いことであった。「アクティ森」のスタッフも順にバリ島に連れて行くことにしたので、皆楽しんでくれた。スタッフの中には3回、4回と行く者がでてきてバリ島のホテルのスタッフとも、すっかり仲良くなったりした。
私には、大きな夢が膨らんでいた。それは日本に「洋食」というものができたように、このバリ島で何か新しい献立をつくろうということであった。食事の「まずさ」は現地にある日本料理店、そして自分で作ってみたハンバーグやカレーライス、ハヤシライスなど全てがおいしくなかった。料理作りをしているうち、その難しさの原因に気がつくまで時間がかかったが、日本からのツアーの人たちは、おなじみの日本の洋食、おふくろの味をそれなりに喜んで食べてくれていたので、「まずさ」の原因がわかった時はガクゼンとした。
それは、インドネシア・バリ島の「野菜」のまずさと気候にあった。バリ島でも海から離れたウブ島まで行けば涼しさを感じられるが、私の泊まっているホテルはクタ島にあり、日中の暑さは40度を越えるような高温と、それを避けるために旅行者はクーラーの効いた部屋の中に入るので、その温度差だけでもう食欲がなくなってしまうのである。このなくなった食欲を冷たい飲み物でおぎなうので、ますます食欲がなくなる。なんとか食べようとする時、日本で慣れ親しんだ洋食やおふくろの味は「味気の無いもの」になってしまうのである。 やはり暑い所では、スパイスのしっかり使われたものでなければおいしくないのである。それはバリ島のコックの作るスパイシーな料理が一番なのである。こう気がついた時、バリ島行きの興味が半減したのである。 バリ島は一生に一度行けばよい。時折、支配人から「次はいつくるのか」と言う手紙はもらったが、私の気持ちはバリ島から遠のいていったのである。
バリ島が好きでなくなった理由に、季節感がないことがある。「冬」木々から葉がなくなり、あの枯れた景色が私は大好きだ。「春」それが芽生え緑になると、全てが生き返っていく様を見る事ができる。「夏」暑くとも2ヶ月ぐらいで終わり、さわやかな「秋」を迎えることができる。これはすばらしいことである。こんなすばらしいところに、自分たちは「山荘」を建てたのである。もっと真剣にこの仕事に取り組まなければならない。この思いは、バリ島行きをあきらめるのに充分であった。それからの私は「三鞍の山荘」への思いが一気に膨らんできた。「オーベルジュ」としての立派な施設を持っているので、それを活かせることは本腰を入れることだと、あたり前のことが私にやる気を出させたのである。